荻窪の著名人

荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。

伊藤 整 (ITO Sei)

◆明治38年1月17日北海道松前郡白神村に昌整を父としタマを母として生る。◆5歳以後忍路(おしょろ)郡塩谷村に住み塩谷小学校、庁立小樽中学校、小樽高等商業校を卒え市立小樽中学校の教師となる。その間専ら詩作に心を傾く、のち東京商科大学に入学せるも中途に学業を放棄して文筆活動に入り小説、文芸評論の述作に従う。◆詩集に雪明りの路、冬夜。小説に生物祭、街と村、得能五郎の生活と意見、鳴海仙吉、火の鳥、若い詩人の肖像、氾濫、年々の花、変容等。◆評論に新心理主義文学、小説の方法、小説の認識、女性に関する十二章、日本文壇史等。◆伊藤整全集十四巻、伊藤整作品集十巻等の刊行を見る。この間日本大学、北海道大学、早稲田大学に文学語学を講じまた東京工業大学に教授たり。その後日本近代文学館長となり日本ペンクラブ副会長、文芸家協会理事を兼ぬ。◆昭和42年小説と文芸評論における過去の業績に対して日本芸術院賞を授けられ翌年日本芸術院会員となる。◆昭和44年11月15日病に斃る。享年64歳。◆昭和29年から杉並区久我山1丁目275に移り住む。