荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。
大田黒元雄 (OTAGURO Moto)
◆1893(明治26)年1月11日生まれ。父、大田黒重五郎は、日本の水力発電の先駆者で、東芝を築き上げたひとり。◆神奈川県立二中を卒業。◆1912(大正1)年渡英、ロンドン大学で、経済学を学ぶかたわら、音楽会・演劇公演に通う。◆第1次大戦のため帰国後、1915(大正4)年、『バッハよりシェーンベルヒ』を出版。ドビュッシーやストラヴィンスキーを初めて日本に紹介し、画期的な新知識を送り込む著作と評価された。◆1916年小林愛雄とともに、芸術評論誌『音楽と文学』を創刊し、近代音楽の普及に努める。又、自らピアノを演奏して、スクリャービンやドビュッシーの紹介に尽力した。著作はおびただしい量を数えるが『歌劇大辞典』をはじめ労作が多く、さらに訳書もきわめて多い。日本で初めて、音楽評論という分野を確立した人である。◆趣味も野球・相撲・推理小説と幅広く、戦後はその博識から、NHKラジオのクイズ番組『話の泉』のレギュラー解答者に起用され、茶の間の人気を集めた。◆1967(昭和42)年、勲三等瑞宝章。◆1977(昭和52)年、文化功労者。◆1979(昭和54)年1月23日没。