荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。
都築甚之助( TUDUKI Jinnosuke)
◆明治時代、日清戦争では戦死者より脚気で死ぬ兵隊の人数が多かったと言われ、また、日露戦争で日本は25万人の脚気患者を作り出し3万人を脚気で死亡させと言われている。これは当時の東大医学部が脚気の「麦飯予防法」に反対した為であり戦地に麦飯を送ることに反対したことによる。◆陸軍省のなかでも一番の麦飯反対者は東大医学部卒業の森林太郎であった。これは森林太郎(森鴎外)の生涯最大の過ちと伝えられている。◆陸軍軍医の都築甚之助は民間医の遠山椿吉ら4人で欧米の医学の水準を越えて未知のビタミン概念を探しあてた。都築甚之助は4人の中で、最も活躍をした。◆1902年にはマラリアについての組織的調査を最初に行った事でも知られている。◆杉並区天沼に住む(明治2年11月~昭和8年3月 享年65歳)