荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。
野口園生 (のぐち そのお)
◆1907 年(明治40 年)1月、東京府下谷区谷中清水町に生まれる。◆1924 年(大正13 年)東京市立女子第一技芸高等女学校(現・東京都立忍岡高校)を卒業。◆1937 年(昭和12 年)堀柳女人形塾に入門し、翌13年申戌会芸術人形展に「みぞれ降る日」を出品。同14 年童宝美術院人形展に「家路」を出品して奨励賞、同15 年同展に「遊山」を出品して優秀賞を受ける。◆1950 年(昭和25 年)人形塾を開き、現代人形美術展に「雨後」を出品して朝日新聞社賞受賞。◆1955 年(昭和30 年)蒼園会を主宰し、銀座松屋で展覧会を開催。同34 年、日本工芸会会員となる。◆1986 年(昭和61 年)国指定重要無形文化財保持者(衣裳人形)に認定され、『野口園生人形作品集』が刊行された。日常生活に根ざした季節感、自然の情趣を大胆にデフォルメした人体によって表現し、独自のフォルムと詩情を持つ作風を示した。◆平成5 年まで人間国宝新作展に小品の出品を続け、1996 年(平成8 年)心不全のため死去。享年89。昭和61 年から平成7 年の間、杉並区天沼2 丁目に住在。