荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。
与謝野晶子・鉄幹
◆1873年(明治6年)与謝野寛(鉄幹) 京都市郊外岡崎村願成寺に生まれる。◆1878年(明治11年)晶子 堺県堺区(現 大阪府堺市甲斐町)菓子商駿河屋に生まれる。◆1900年(明治33年)文学美術雑誌「明星」が全国的に若者の支持を得、浪漫主義の思潮が確立。「明星」2号に短歌六首を発表。◆1901年(明治34年)寛・晶子結婚。歌集『みだれ髪』を刊行。「帝国文学」に『みだれ髪』評が出る。◆1927年(昭和2年)東京府豊多摩郡井荻村字下荻窪(現 杉並区荻窪2丁目119番地)にはじめて家を建てる。遙青書屋・采花荘と命名。◆1933年(昭和8年)2月、鉄幹の60歳を祝して東京日本橋高島屋で「寛・晶子著作展」開催。9月、改造社より「与謝野晶子全集」刊行開始。◆1935年(昭和10年)3月26日、鉄幹 急性肺炎を併発して死去。5月、『与謝野寛遺稿集』刊行。◆1942年(昭和17年)5月29日、晶子 永眠。多磨墓地に埋葬。9月、平野万里編輯の遺詠集『白桜集』刊行。