荻窪の著名人

荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。

向田邦子(むこうだくにこ)

昭和4年(1929年)~昭和56年(1981年)◆昭和4年(1929年)11月、東京府荏原郡世田谷町若林に生まれる。◆昭和25年、実践女子専門学校卒業、財政文化社に入社。鹿児島、高松と転居の後、杉並区久我山に転居。◆昭和35年、女性のフリーライター事務所「ガリーナクラブ」に参加、翌年「新婦人」に初めて向田邦子の名前で執筆。◆昭和37年、杉並区天沼に転居。「森繁の重役読本」(TBSラジオ)スタート。◆昭和49年、「寺内貫太郎一家」(TBS)放映開始、翌年に小説として刊行。乳癌の手術を受け、発病をきっかけに随筆を書き始める。◆昭和53年、初のエッセイ集「父の詫び状」刊行。翌年、「阿修羅のごとく」(NHK)放映開始。◆昭和55年、「源氏物語」(TBS)、「あ・うん」(NHK)、「幸福」(TBS)が放映開始。「小説新潮」に連作短編小説「思いでトランプ」、「週間文春」に「霊長類ヒト科動物図鑑」連載開始。ギャラクシー選奨受賞。「思いでトランプ」の中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞受賞。◆昭和56年、台湾での航空機事故により急逝。◆昭和57年、放送文化賞受賞。テレビ脚本のすぐれた成果に対して贈られる「向田邦子賞」が制定される。◆今なお人気は衰えることなく、世代・階層を超え続いている。今年11月には、「阿修羅のごとく」が森田芳光監督により、全国東宝洋画系で公開される。