荻窪の著名人

荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。

徳川無声(とくがわむせい)

◆1894年島根県に生まれる。本名・福原駿雄◆1921年無声映画の弁士となる。以後ラジオ放送が始まると朗読、漫談で活躍。戦後ラジオ放送の「話の泉」、「宮本武蔵」など大人気となる。テレビでも「私だけは知っている」などその話芸は天下一品と言われた。◆1971年阿佐ヶ谷の河北病院で8月1日死去。◆井伏鱒二は「荻窪風土記」のなかで駅前の鮨屋で梯子酒をしているところを目撃している。その後井伏鱒二とは荻窪が縁で交流が続く。◆徳川無声は昭和11年頃より荻窪の住民であったようだ。◆「話術とはいかに黙るかを学ぶ術である」など名言が残されている。余記:三国一郎薯の「徳川無声の世界」は第30回(1979)芸術選奨文部大臣賞を受賞。