荻窪の著名人

三遊亭小圓遊 (さんゆうてい こえんゆう)

略歴:1955年2月 ─ 4代目三遊亭圓遊に入門、前座名「金遊」。
1958年 ─ 二つ目昇進。
1966年 ─ 日本テレビの演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとなる。
1968年9月 ─ 真打昇進。4代目小圓遊襲名。
1969年4月 ─ レギュラーメンバーとの対立があり笑点降板。7ヶ月
後にライバル桂歌丸と共に復帰。この際には弟弟子三遊亭笑遊(現5
代目三遊亭圓遊)が座布団運びとして加わっているが8ヶ月で降板。
1972年 ─ 10枚座布団の賞品としてレコードを吹き込む(タイトル
は「マドモアゼル」)。
1979年8月 ─ 桂歌丸と共に落語芸術協会理事就任。
1980年 ─ 10月4日、山形県村山市での公演中に倒れ食道静脈瘤破
裂により翌日死去。享年43歳。